京大の立て看規制に一京大生が思うこと
昨年の11月祭(京大の学園祭)の期間中にあるネットニュースがTwitter上で僕のTLに流れてきた。
見出しにある通り、まさに「京大の文化」の一つだと言っても過言ではない立て看板が京都市の景観条例に違反しているとして行政指導を受けているというのだ。
これがどれほど京大生、一般人に知られていた事実なのかは分からないが、少なくとも僕は知らなかったし、恐らく僕と同じ1回生だった学生達の多くも知らなかったのではないだろうか。それはTwitter上での反応からも見て取れる。
たしかに京大では立て看板を巡る職員と一部の学生の対立を度々目にしたが、それはそのような一部の学生達が作成する看板に書かれた内容を巡るものだと思っていた。
ここでは今回の立て看板問題の詳細を記すのではなく、一京大生が思うことを述べる。
僕が初めて京大を訪れたのは入試の前日。2017年の2月24日だ。下見の為に行った。そこで目にしたのが壁に立てかけられた数々の立て看板。ここが京大か。翌日に入試を控えた緊張感と共にそう思ったのを覚えている。たしかその帰り道、ホテルの近くのスーパーで抹茶サンドのアイスを買ったのだが部屋の冷蔵庫には冷凍機能が付いていなかったので急いで少し柔らかくなったそれを食べた。
話は逸れたが、言いたいことはつまり、僕は立て看板のない京大を知らない。見たことがない。そしてそれは僕だけではない。京大は半世紀もの歴史を立て看と共に歩んできた。
立て看を撤去せよというのは、それらが京都市の景観にそぐわないからだという。しかし、京都市の景観と一口に言うが、そもそもそれは一言で言い表せるほど統一されているのだろうか。否だ。
分かりやすいのは京都駅前や四条通りのあたりだろうが、そこにはデパートが立ち並び、京都駅などは近代建築としてそれ自体のデザインが評価されているほどだ。
なるほどたしかに京大付近にはそういった建造物は見当たらない。しかし思う。京大がなければ、いったい誰が百万遍を訪れるだろうか。殆ど来ないはずだ。あの場所に価値があるのは京大があるからだ。つまり、京大がもはや京都市の景観の一部になっていると言える。そしてそこには立て看板も含まれる。立て看が撤去されれば、京大は吉田寮と立て看という二つの文化を同時に失うことになる。
寺社仏閣は大切だ。だがそれだけではない。最近では幾つもの寺社仏閣で夜間のライトアップ拝観などを実施しているではないか。時代は変わるのだ。
京都市の景観は一通りではない。近代的な京都駅も、四条通のデパート群も、そして京大の立て看板も。幾つもの景観が折り合わさって現代の京都市だ。
と、ここまで一京大生である僕が歴史の目撃者として思うところを述べたわけだが、正直根拠などない。思ったことをただ述べただけだ。だからツッコミどころもあると思う。是非ツッコんでほしい。
そして最後にもう一つ。
僕は正直、立て看が撤去されようが、吉田寮が廃寮になろうが、不利益は被らない。 強いて挙げれば自分が通う大学から一つ、二つネタがなくなるくらいだ。
だが僕が気になるのは、そこに対話がないということだ。いずれも京都市や京大当局が独断で決定を下している。
吉田寮に関しては一部に耐久性の面で問題があったようなので一概には言えないのだが、今回の立て看板を巡ってはどうだろうか。
現役京大生やOB・OGの多く、それから教授陣にも京大の文化を残していきたいという声が大きいように思う。市民からは景観に違反しているだろうという苦情が寄せられたこともあるらしいが、逆に立て看を京大の文化として認める声も耳にする。
なぜ聞かない。景観も大切だが一番大切なのは今、京都市で生活している人々だ。彼らの声を大切にしなければならない。
彼らがそこまで厳格な条例は必要ないというのであれば、それは特に観光客が集まる寺社仏閣などの周辺に留めておけば十分だと思う。
京大に立て看があることで歴史ある京都市の価値は少しでも落ちるのか?甚だ疑問である。
変わるものもあれば変わらないものもある。
変えなくてはならないものもあれば変えてはならないものもある。
だが少なくともこれだけは言える。
時代は変わる。そして、そこに住む人々も。
なんの情報もない駄文を読んでくださりありがとうございました。
最後に、360°という京大発オンラインメディアが撤去される前の京大の立て看板を写真に残し、記事にしてくださったようなので紹介しておきます。