誰が為の人生

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京大でも出題ミス?入試の出題ミス➞追加合格に僕が思うこと

ついに…

 

ついに……

 

 

春休みじゃぁぁぁぁあああああい!!!!!!!

 

 

試験期間からの怒涛のレポート地獄を生き抜いた僕にも春休みが訪れた。

レポート地獄を生き抜くために切り捨ててしまった単位という名の仲間達。

彼ら(スペイン語で単位は男性名詞)の為にも僕はこの春休みを楽しまなければない。

 

 

だがしかーーし!何やら最近とある事件が相次いで発生しておるな。

 

それが世に言う「指定国立大学法人京都大学入試誤出題事件」である。

 

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大阪大学で先んじて起きた同様の出題ミス➞追加合格の流れがそっくりそのまま京都大学でも発生した。(しかも現在、更に以前の出題ミスを指摘する声が上がっているという。)

 

今回はこの事例に対して僕が思ったことを述べてみる。

興味ない人にはただただつまらないと思う笑

 

なにはともあれ、初めての思考的な記事になる。

特定のテーマに絞らずに自由にやっているこのブログらしくて良いと思う。

 

 

ではでは…

 

まず初めに、今回の件で京大側に非は無いというわけではないし、追加合格になった当人達を歓迎しないというわけでもないことを述べておく。

 

 

今回、出題ミスが指摘されたのは、僕には全く関係のなかった物理の問題でのことらしいが、ここではその内容についてはとやかく言わない(言えない)。

 

簡単に言うと、与えられた条件が不十分であり唯一の解答が導出できないにも関わらず、京大側の用意した1つのみを正解とした、ということらしい。

 

このことを指摘された結果、京大はミスを認め、該当問題を全員正解とし、受験者の得点を再計算し、その結果であれば合格していた者に対して追加合格を与えたというものだ。

 

一連の流れを耳にして、「本当なら合格していたのに落とされた追加合格の人達が可哀そう」だとか「落とされた人達の人生を狂わせちゃって、京大はどうやって補償するのか」などと思った方々も多いと思う。

それは間違いではないし、京大に非が無いというつもりは毛頭ない。

 

だけど、僕にはそれ以外にも思うことがあった。

 

それは、人間はミスをする生き物だということを忘れてはならないということだ。

 

これは、作問者だって人間なのだからミスは起き得る。だから許してやれ。ということを言っているのではない。作問者は当然、自分達でも入試レベルの問題でミスをし得るということを頭において、複数人で何度もチェックしなければならないが、それだけではなく、それでもミスが起きてしまった場合の逃げ道を作っておくべきだ。

 

例えば、問題文、あるいは問題冊子の注意事項にでも「出題の中にミスを見つけた場合は、そのミスを指摘し、それによって何故、解答不能になるのかを説明した場合にのみ正答と同得点を与える。」とでも付言しておけばいいのだ。

 

入試問題での出題ミスは度々起きている。にも関わらず対応策を用意してなかったのは、京大側の過信であると思う。

 

 更に、本当にそのミスは受験生の不正解を招くものだったのかということだ。

 

予備校講師が指摘したとあるが、それは受験生のレベルでも気づき得る程度のミスだったのか。そうでなければ、不正解だった原因は出題ミスではなく、その受験生の実力自体にあるのではないか。

だとすれば、それこそ0コンマ何点で涙を流した受験者達のうち、物理受験者だけが救済されたという見方もできなくもない。

該当問題を全員正解にしたうえで追加合格者候補を選定し、候補者達の答案を再採点し、不正解の原因が出題ミスだと認められた者のみを追加合格者にすればよいのでないか。

 

こんなことを言ってもどうにもならないし、教授陣に余計な負担を与えてしまうことも分かっている。追加合格者になった方々を否定する気持ちもない。

だが、今後も同じことが起きてほしくないと思いながら、僕が思ったことを述べさせてもらった。

つまらない記事になるかもしれないが、今後もたまにはこうやって考えたことをや思ったことを綴っていこうと思う。

 

追加合格者の方々は時期も時期だし複雑な気持ちだと思いますが、よく考えて納得のいく決断をしてもらえたら良いと思います。

 

 

 

ミスはするものである。何故なら、我々が人間だからである。

 

人生には想定外のことが起こる。

 

僕はまだ19歳の若造だけど、それくらいは分かる。

だけどそんな人生を生きていかなくちゃいけないし、そんな人生だからこそ楽しいことも絶対あるはず。